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プンダリーカ
「プンダリーカ」とは「白蓮華(びゃくれんげ)」を意味するインドの言葉で、西照寺のご本尊「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」が白蓮華にお立ちになっていることに由来し命名しました。
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』というお経には「念仏の行者は白く清らかな蓮(はす)の花とたたえられる尊い人である」と説かれ、親鸞聖人も『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』の中で「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」と阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏をよろこぶ人のことを讃えておられます。

今月(10月)の言葉は、私の師でもある、故・小山一行先生の著書より拝借し、少しアレンジしたものです。
小山先生は、著書『新々みちしるべ ―菩薩シリーズ― 虚空蔵菩薩「しあわせ(福徳)」』の中で、以下のように記しておられます。
【「仏の国に生まれる」という表現は、死後のことのように思われがちですが、仏の慈悲(じひ)を喜ぶのは今ここの話です。
死後の世界があいまいなのは、現在の生の在(あ)り方があいまいだからではないでしょうか。】
「仏教」は「私が仏に成る教え」であると同時に、「仏道」とも言い、「私が仏に成る道」が説かれたものです。
そしてその「道」とは、歩む為のものです。
お釈迦さまのご説法は「八万四千(はちまんしせん)の法門(ほうもん)」と言われ、説かれた教えは幾多もありますが、その数多くある仏道の中で、私が仏に成る道でなければ私にとっては意味がありません。
その私が仏になる教えとして説かれたものが、お念仏のみ教えです。
阿弥陀如来(あみだにょらい)の「念仏を喜ぶ全てのものをもらさず救う」との本願力(ほんがんりき/根本の願いのはたらき)により、このいのち尽きる時には必ず、先立った方々が待つお浄土に往き生まれさせてもらい、仏になるいのちに仕上げていただきます。
その浄土往生(じょうどおうじょう)は臨終を迎えたときには違いありませんが、そのことをお聞きかせいただくのは、今この日暮らしの中でです。
一日一日お念仏申し、折々でそのみ教えを聴聞(ちょうもん)するその生活が、まさに仏につながる「道」であります。
この今生きている私のいのちが、またお念仏申している今の私の日常が、「お浄土に往き生まれるみ教えを聞いていく為の機縁であった」と、今のいのちがお浄土につながる道になる時、今の私のいのちの行方が確かなものとなるのです。
今のいのちのありようがハッキリとする時、おのずと死後の問題・後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)も解決していきます。
厳しい言い方になりますが、死後の問題がハッキリとしていないと言うことは、この今のいのちの行方がどこに向かっているのか、今歩んでいる道がどこに通じているのか定まっていないということでしょう。

↑過去の掲示板の言葉と解説は、1年ごとに冊子にまとめています。
ご希望の方へはお渡しいたしますので、お気軽にお申し出ください。
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