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プンダリーカ
「プンダリーカ」とは「白蓮華(びゃくれんげ)」を意味するインドの言葉で、西照寺のご本尊「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」が白蓮華にお立ちになっていることに由来し命名しました。
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』というお経には「念仏の行者は白く清らかな蓮(はす)の花とたたえられる尊い人である」と説かれ、親鸞聖人も『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』の中で「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」と阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏をよろこぶ人のことを讃えておられます。

お釈迦さまが示された人生の苦として、最も代表的で根本的なものが「四苦(しく)」です。
「四苦」とは、「生(しょう)」・「老(ろう)」・「病(びょう)」・「死(し)」のことで、私たちが生きている限り避けることのできないことでもあります。
なぜ苦しいのかというと、それは私の思い通りにはならないから苦しいのです。
私たちは生まれてくる時代や場所を選べませんし、生まれたからには(=生)、一日一日・ひと時ひと時年を重ね(=老)、気が付いていないだけで今もどこかが痛み、時に病を患い(=病)、やがて必ず死を迎えていきます。(=死)
言い換えれば「生老病死」の姿こそが「生きる」ということであり、「老」・「病」・「死」を完全に無くす為には、「生まれてこない」ということ以外にあり得ないのです。
厳しい言い方になるかもしれませんが、「老」を嫌うのは「若さ」の、「病」を嫌うのは「健康」のおごりであり、「死」を嫌うということは「生きる」ことを否定することにもつながり得ます。
この「老病死」を引き受けて歩んでいく道こそが、「仏道」なのです。
今月の掲示板の言葉について改めて言い切れば、「病気が治る」と説く宗教は全て偽物だと思っていただいてよいでしょう。
病気を治す為にはお寺などの宗教施設ではなくて、お医者さんがいる病院に行くべきです。
お寺にお参りして仏教の話を聞くということは、今こうして年を重ねる中に、今こうして体が痛む中に、それをどのように引き受け、必ず死を迎えるいのちが空しく終わることのないよう、どのように生きぬいていくのか、そのことを一人一人が確かなものとしていくということです。
そしてそれは同時に、私のいのちの行方をお聞かせいただくということでもあります。
嫌うばかりではなく、年を重ねる中でしか、どこかが痛むことでしか味わえないことを大切にしたいものです。

↑過去の掲示板の言葉と解説は、1年ごとに冊子にまとめています。
ご希望の方へはお渡しいたしますので、お気軽にお申し出ください。
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