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プンダリーカ
「プンダリーカ」とは「白蓮華(びゃくれんげ)」を意味するインドの言葉で、西照寺のご本尊「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」が白蓮華にお立ちになっていることに由来し命名しました。
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』というお経には「念仏の行者は白く清らかな蓮(はす)の花とたたえられる尊い人である」と説かれ、親鸞聖人も『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』の中で「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」と阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏をよろこぶ人のことを讃えておられます。
お釈迦様(しゃかさま)がお生まれになった当時のインドでの影響から、仏教において蓮(はす)の花は最も尊く、めでたい花と尊重されています。
その証拠に、ご自宅のお仏壇(ぶつだん)の如来様(にょらいさま)も、蓮の花の上にお立ちになっておられます。
『維摩経(ゆいまきょう)』というお経には、
「高原の丘の上には蓮は咲かない。じめじめとした沼地にこそ蓮の花は咲く」
という言葉が出て来るそうです。
決してきれいとは言えない沼地の泥の中から、その泥に染まることなく美しい花を咲かせる蓮の花の様子は、煩悩(ぼんのう)を抱えて日暮らしをしているこの私の真っ只中に、阿弥陀如来(あみだにょらい)のご本願(ほんがん=「我に任せよ、必ず浄土に往生させる。」との根本の願い)が至り届いているすがたに喩えられ、極楽浄土(ごくらくじょうど)に咲く花として、複数のお経の中にも説かれています。
「美しい花にはトゲがある」という言葉がありますが、その言葉の通り、バラの花などは美しい花を咲かせる反面、その茎(くき)にはトゲがあることで有名です。
しかし、順序よく物事を考えて、原因と結果として見てみれば、「トゲがある茎が先にあり、そこに美しいが花が咲く」との言い方が正しいのではないでしょうか。
この言葉は転じて、「美しい人には危険な一面もあるから気をつけなさい」という意味で使われるようですが、これもまた、「美しい人がいて、そこに危険なトゲが出ている」のではなく、「欲望・煩悩というトゲを持つ私たちにあって、それぞれが美しい花を咲かせることのできる人生を送る」という受け取りの方が、私は好きです。
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』には、
「もし念仏(ねんぶつ)するものは、まさに知(し)るべし、この人(ひと)はこれ人中(にんちゅう)の分陀利華(ふんだりけ)なり。」
【もし念仏するものがいるなら、まことにその人は白く清らかな蓮の花とたたえられる尊い人であると知るがよい。】
とのお示しがあり、ここではお念仏を喜ぶ人の姿が、上で述べたような意味で、白い蓮の花に喩えてたたえられています。
煩悩を抱えた日暮らしの真っ只中にある私たちではありますが、その煩悩の我が身にあって、それぞれが美しく輝ける一輪の花を咲かせたいものですね。
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