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プンダリーカ

 「プンダリーカ」とは「白蓮華(びゃくれんげ)」を意味するインドの言葉で、西照寺のご本尊「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」が白蓮華にお立ちになっていることに由来し命名しました。
 『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』というお経には「念仏の行者は白く清らかな蓮(はす)の花とたたえられる尊い人である」と説かれ、親鸞聖人も『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』の中で「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」と阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏をよろこぶ人のことを讃えておられます。

拡大してお読みになりたい方は、こちらのPDFファイルからお読み下さい。昨年のプンダリーカもご覧いただけます。

​令和8年1月の掲示板

 仏教は「因縁生起(いんねんしょうき)」、略して「縁起(えんぎ)」を説きます。
結果(=果)が生じているということは、必ずそこには原因(=因)があります。
更にその結果は、様々な縁(条件)がはたらく上で成り立っています。
例えば、花が咲く(=果)為には、必ず種(たね=因)が必要です。
しかし、種をまくだけでは花は咲きません。
そこには、太陽の光や雨がどの程度あったか、また水や肥料をあげたのか、虫に食われたり風で倒されなかったのか…などなど、さまざまな条件(=縁)がはたらく中で、「種をまく」という原因に対して、「花が咲く」・「花が咲かない」という結果が生じます。
 また、この「因」と「果」の関係は、必ず「果」から「因」の順でみていきます。
「花が咲いた」ということは、「種があった」ということです。
私は暮れに年末ジャンボ宝くじを買いましたが、もし「宝くじが当たった」という結果が出た場合、必ず「宝くじを買った」という因があるからです。
「種がある」から必ず「花が咲く」という訳ではありませんし、「宝くじを買えば」必ず「宝くじが当たる」ということでもありません。
もし、「因」から「果」の順で考える場合には、「種がなければ、花は咲かない」・「宝くじを買うことがなければ、宝くじに当たることはない」と、否定の関係で考えていく必要があります。
 さて、掲示板の言葉になりますが、「おめでとう」という言葉は、「お芽出度う(めがでるようす)」と書くこともあるようです。
「芽が出る(=果)」ということは、「種がある(=因)」ということです。
更に、そこには私たちには考えも及ばないような、様々な縁がはたらいてこそのことでもあります。
新年を迎え、「明けましておめでとう」とお互いに喜びあいますが、それは昨年までの様々な出来事(=因縁・いんねん)がある上で迎えた「新年(=果)」であることを心に留めたいことです。
また、昨年までの出来事(=因縁)がなければ、今こうして新年を迎えること(=果)もなかったと、これまでの出来事を大切にして歩みたいものです。

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↑過去の掲示板の言葉と解説は、1年ごとに冊子にまとめています。
​ご希望の方へはお渡しいたしますので、お気軽にお申し出ください。

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