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プンダリーカ
「プンダリーカ」とは「白蓮華(びゃくれんげ)」を意味するインドの言葉で、西照寺のご本尊「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」が白蓮華にお立ちになっていることに由来し命名しました。
『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう=観経)』というお経には「念仏の行者は白く清らかな蓮(はす)の花とたたえられる尊い人である」と説かれ、親鸞聖人も『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』の中で「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」と阿弥陀如来の本願を信じ、お念仏をよろこぶ人のことを讃えておられます。

今年で戦後81年の月日が経過しましたが、未だにこの世界から戦争はなくなりません。
日本国内に目を向けても、最近よく耳にする「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」などの特殊詐欺をはじめ、様々な殺人や傷害などの事件が連日のように報じられています。
はたして、このような現状を「平和な世の中」と言えるのでしょうか。
何をもって「平和な世の中」と位置付けるのか、私たち一人一人が改めて問い直さねばならない気がします。
『歎異抄(たんにしょう)』(第13条)に、親鸞聖人が仰ったとされる、
「さるべき業縁(ごうえん)のもよほさば、いかなるふるまひもすべし。」
という言葉が出てきます。
私たちは、縁(条件)次第でどのような行いもするであろうとのお示しです。
それは、親鸞聖人がご自身を「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」と表現されるように、この私が煩悩(自己中心的な欲望)で出来上がったすがたであるからです。
そのように、自己中心的で、縁次第ではどのような行いをしてしまうか分からない、その自分自身の真のすがたに気付いていくことが大切でしょう。
そして、その人間の本質は、先の大戦から81年経った今日も変わることはありませんから、戦争などの争いが今も無くならないのではないでしょうか。
しかし、自分自身のすがたを自覚する時、そこで終わるのではなく、「自己中心的なのは他の人も同じであった」「私が自分が一番愛おしいように、他者も自分が最優先なんだ」と他を認めていくことが、平和な世の中への歩みではないかと考えます。
私のいのちも他の方のいのちも、かけがえのないいのちにかわりないのです。
その他者を認める思いを、他を大切にする思いを、いきなり世界中の全ての人々にということは難しいかもしれませんが、まずは自分の身近な人たち向けていきたいものです。

↑過去の掲示板の言葉と解説は、1年ごとに冊子にまとめています。
ご希望の方へはお渡しいたしますので、お気軽にお申し出ください。
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